〜サイト一周年記念リクエスト作品〜
しっぽ取りゲエム 「ゲエムのエンドロール」


「えっ」
 友人は目を丸くして黙り込んだ。場所は居酒屋。今日は、卒業してから本当に久しぶりにこうして彼と会っている。お通しに手を付けながら話した近況報告に、この反応だ。たっぷり二秒間硬直して、
「アイツと同居って、マジかよ!」
 周りの客も振り向くほどの大声で鼓膜を震わせてくれた。
「喧しいのは相変わらずだな……尚人」
「なんで、よりによってあんな失礼な奴と! まさか脅されてるとか……」
 理玖は「それはない、ちょっと黙れ」と素早く制してから、興奮している尚人を前にしばし頭をひねった。
「成り行き、って言っても信じないだろうな」
 理玖は今、かのテストで僅かな時間を共有した体力馬鹿……こと二宮久二と同居生活を送っている。初めは正式にアパートを決めるまで泊めてほしい、という彼の頼みを聞いただけだったのだが、どうにも居ついてしまい、二か月たった今でも出ていく様子がない。そこまで説明すると、しかし尚人は納得しきれないというように口をとがらせた。曰く、「理玖があんなガサツな男と暮らしてるなんて、信じられない」。「俺も信じられない」と返そうとしたが、よけいややこしくなりそうなのでやめた。
 運ばれてきた酒を飲みながら、理玖はため息をついた。そもそも、尚人がこれだけ久二を悪く言うのにはちゃんと理由があるのだ。
 あの夜、本部に命からがらたどり着いた理玖を見つけて、尚人が脱落者で構成された人ごみの中から駆け寄ってきた。あの後安藤に捕まったのではないかと、相当心配だったらしい。実際彼から逃れられたのは奇跡のようなものだったので心配に値する勇姿だったのだが、涙もろい友人は理玖のぼろぼろの姿に涙腺を刺激されたらしい。困ったように制止する運営者を押しのけて、大型犬のごとく飛びついてきた。「よかった」と思しき言葉をしきりに口にしていた気がする。――ここまではよかった。まずかったのは、その勢いにバランスを崩した理玖を久二が支えて、おまけに彼が理玖から尚人を力ずくで、文字通り引きはがしたことだ。
「殺されてーか」
 その容赦のなさに、フォローを入れる暇もなかった。(もちろん、尚人が自分の友人であるという点だ)理玖も尚人もその剣幕に驚いてぽかんとしていたのだが、その様子に久二はようやくなにか勘付いたらしい。理玖を振り返り、しっかり尚人を指差して、
「誰」
 理玖も尚人も運営者も、順番が違う、とは言えなかった。
「……で、そっちはどうなんだよ」
 苦々しいエピソードを思い出して、理玖は再びため息をついた。お気に入りの梅酒ロックをカラカラ言わせながら喉に流し込む。目の前の友人はまだ疑心暗鬼という感じだったが、どうやら諦めたらしい。話が自分に振られたことで現実を思い出したのか、ちっとも減っていない泡盛をちびちびと飲み進める。
「どうもこうも。相変わらず一人暮らしだし、上司にこき使われてるよ。……やっぱり、あんときシッポなんか取られなきゃ……」
 そこまで呟いて、不意に尚人は顔を上げて理玖を見た。
「なに」
 不審に思って聞き返すと、尚人は頭を掻いて目をそらす。
「いや、悪い……蹴ったんだもんな、お前」
「気なら遣わなくてもいいぞ。俺は別に、あの結果に不満があったわけじゃない」
 『能力判定テスト』の後日、文句なしの勝利を手にした理玖の元に、検討もしたことのなかったような外資系企業からの採用通知が届いた。確かに大手で、待遇も申し分ない。ただどうも、しっくりこなかった。それだけだ。理玖は結局、内定保留のままになっていた中堅会社に就職を決めた。
「ほんとか?」
 尚人はこちらの顔色を窺いながら、焼き鳥串を一つ手に取った。砂肝は、彼のリクエストである。
「……結局元のさやに納まった感じだけどさ」
「ああ」
「俺はあのテストがあってよかったと思ってるんだぜ」
 すると尚人が串の先を口に入れすぎたのか、急にせき込む。あまりに大げさなしぐさに、こちらが呆気に取られてしまう。
「……っ、理玖、お前それマジで言ってんの?」
 気でもふれたのかというような焦りだった。心外だ。理玖はこれ見よがしにじろりと睨んでやった。
「結果的に、だ。あのテストを続けることにはもちろん反対だし、俺たちの人生狂わせてくれたのもあれが原因だと思ってる」
「だったら、なにが『よかった』んだよ?」
 酔っている尚人の切り返しにしては、なかなか冴えているじゃないか。
「もしかして、スーツで走ることに快感を覚えた、とか……」
 前言撤回。理玖は「馬鹿」とつぶやいた後、グラスを揺らして笑った。
「人生狂った結果が、思ったより悪くなかっただけだ」



***



 もう帰るのかという尚人の言葉に「大きい犬が待ってるからな」と答えると、「お前、犬好きだったよな」しみじみと言われて閉口した。尚人と別れて駅に入ると、改札の向こうに見覚えのあるコートを着た長身の男を見つけて、一人苦笑する。
「忠犬のつもりかよ」
 ハチ公ならぬ、キュウ公だ。
「遅ぇ」
「ちゃんと今日中だろ……と、」
 改札を過ぎた途端に腕を掴まれて電車まで誘導される。酔ってはいるが、帰りの電車が分からないほどではない。しかし、理玖は酔いが回るのを感じながら始終黙っていた。
「あいつ、どうだったんだ」
「尚人か。ああ、なんとかやってるみたいだ」
 答えながら、理玖は痛んできた肩を揉んだ。酔うと、決まって肩こりが激しくなる。肝臓に関係があるらしいと聞いたことがあるが、だからといってどうしようもない。
「そうか」
 さして興味なさげに言うと、彼は車両に乗り込んで空きの席に腰を下ろした。理玖もその隣に自分を端に座らせたのは、配慮の行為だろう。この男にしては、頭が回る。
「飯は?」
「食ってきたけど、食いきれなかったからもらってきた」
「珍しいな、お前も食いきれないなんてことがあるのか」
「人をなんだと思ってんだ」
「大食いだろ、俺の二倍食うんだから」
「榊が小食なんだ」
 会話を交わしながら、久二の荷物を観察した。スポーツバッグの他に、見慣れぬ手提げ袋がある。中身はおにぎりだろう、たまにあまりものだと言ってもらってくることがあった。
「どうなんだ、手伝いの方は」
 軽口を切り上げて訊ねる。久二は今、整体師を目指して勉強中だ。もちろんゲーム勝利の景品として理玖と同じような封筒が送られてきたのだが、予想通りというか、それらはすぐにゴミ箱へと放り込まれた。知り合いの店で手伝いとして働きながら、覚えたマッサージの実験台になるのは理玖の家での仕事だ。意外にも上手い、という感想は滅多に言わないことではあるのだが。
「覚えることは尽きないな」
 それは正直な気持ちだろう。今も、スポーツバッグの中には整体関係の本が何冊も入っているに違いない。理玖にしてみれば勉強などなんてことのない日常なのだが、この男にしてみればまさに苦行に違いない。
「勉強、見てやろうか」
「酔っぱらいの家庭教師はいらねえよ」
 即座に返された。「それに今日は」と続ける。
「マッサージの方がいいだろ」
「さすが、久二君は察しがいいじゃないか」
「いい加減覚えた。明日は休肝日だぞ」
 毎夜晩酌にビールを飲んでいる久二には言われたくない。
「はいはい、わかったよ……」
 電車が動き出す。目を伏せると、久二はもう何も言ってこなかった。何も言わずに、外気に冷やされた理玖の右手を両手で包み込む。まだ寒さも厳しいのに、どうしてこの男の手は暖かいのだろう。手の温度が融けあう感覚を感じながら、理玖は不思議な穏やかさに揺られていた。



***



 家に着くころには大分酔いも醒めていた。アパートの階段を上るのが億劫だったが、それはいつものことだ。部屋に入ると、テレビをつける。九時だというのに、バラエティ番組のチャンネルはどこも緊急会見の様子がライブで放送されている。内容はまじまじと見るほどでもない。安藤信夫が政治資金着服の疑いで起訴された件だ。現政権の重鎮である安藤の暗がりの部分が出てきたとあって、こぞって世間が騒ぎたてている。
 久二がソファに腰を下ろしたので、理玖はそのソファを背もたれにして、カーペットに座り込む。カーペットの上にソファを置くことについてこの男にさんざん反対されたが、冬場はフローリングでは寒いではないか。
「最近、こればっかりだな」
 久二がチャンネルを回しながらつまらなそうに言う。
「安藤信夫。黒い噂もずっと絶えなかったし、当然と言えば当然なんだろうけど」
「しっぽ取り、まだやんのかな。俺らの後輩とかも」
「結局。一時的に就職率が上がっても、勝手に知りもしない会社に振り分けられたんじゃやめる人が急増する。もともとあれは安藤が教育委員会にゴリ押ししたって言われてるし、もうやらないかもな」
「よく知ってるんだな」
「日本国民だからな」
 皮肉を込めて言ってやる。久二は大方、ニュースはおろか、新聞の読み方すら知らないのだろう。新聞を取ることについても議論があったが、口喧嘩だけは大得意の理玖が理屈を並べたてて勝利したのだ。
「どうなったんだろうな、息子の方は」
「ああ……」
 こんなにも取り上げられているというのに、息子の安藤良については欠片も報道されない。もう未成年でもないのに、まるで何かを隠そうとするようなマスコミ全体の態度も気味が悪い。理玖にしてみれば、こんなおじさんより彼の動向が気になるのだが、所詮は一般市民だ。あんなことをされたとはいえ――。
「どうした?」
「いや。嫌なことを思い出しただけ」
 久二は何も言わずに、もぞもぞと動き始めた。何事かと思って首を捻ると、彼は理玖を両足の間に挟み込むように座りなおしている。何か言う前に、肩に指が乗った。ようやく察して、理玖も肩の力を抜く。
「なんでこう、凝りやすいんだ? 酒だけじゃないだろ、これ」
 肩をゆっくり指圧される。絶妙な力加減に感嘆しながら目を瞑ると、再び眠気が襲ってくる。
「さあ。最近、在庫確認のせいで段ボール運びばっかりしてるから、かな」
「似合わないことすんなよ。……夜は勉強もしてるんだろ」
「うん、でもそれは……へ?」
 らしくもない、間抜けな声を出してしまった。しかし、そのせいではっと目が覚める。
「本、出しっぱなしだっただろ」
「……見た?」
「職場で必要なのか? 社会福祉士の資格なんて」
 ああ、もう最悪だ!
 恥ずかしいが、なによりも都合が悪いのがこの男が馬鹿で脈絡も何も考えない男だと思い出したことだ。
「いらないな。少なくとも、今の職場では」
「はあ」
 全然わかっていないようなので、理玖は肩を揉まれながら丁寧に説明してやることになる。
「お前が自分の店持つようになったら、事務の面で支援してやれるだろ」
 理解していないのか、あるいは聞こえなかったのか、久二は黙り込んだ。「馬鹿だからな」と付け加えてみたが、それに対する反論もない。しかし沈黙の間もマッサージの手は続いていたので、しばらくテレビの音だけが部屋に響いていたが、
「俺、起業すんのか」
 ようやく口を開いたと思ったら、そんなとぼけた返答だった。
「するだろ」
 むしろ理玖の方が驚いてしまった。今こそ資格とノウハウ取得のために知り合いに世話になっているが、いずれは独立するのだろうと思っていた。確かに、聞いたことはなかったが。
 何も言わない久二に柄にもなく不安になって振り向こうとすると、
「……ん」
 顎を持ち上げられて、キスされた。たまにこんな風に戯れてくるが、今回のは少し様子が違うようだ。
「理玖、すげえよお前。できる気がしてきた」
 名前で呼ばれた。
「できるに決まってるだろ。……きゅ、二宮」
「今引っ込めただろ」
「なにが」
 するどいやつだ。理玖は立ち上がってテレビを消した。軽く肩を回してみる。大分楽になった。熱いシャワーを浴びて寝たい。
「榊」
「なんだよ」
「これも、運命ってやつか?」
 相変わらずロマンティックな言葉だ。運命。そんな妄言に振り回されてばかりでは困る。理玖はかぶりを振った。
「もっといいやつだよ」
 久二が立ち上がって、歩いてくる。答えを聞く間もなく抱きしめられた。
「……もっと言葉をつかえよ、人間」
「生憎、語彙が少ないもんで」
「その少ない語彙でも言えることあるだろ」
「はは、アイラヴユーってか」
「三点だ」
 理玖も笑った。これから再びキスが降ってくるだろうと考える。予測できるのはそこまでだ。明日のことも明後日のこともわからない。
「……お前でよかったよ」
 何がとは聞かない。同じことを考えていた。
「……ん」
 スキンシップにしては長いキスの後、理玖は笑った。手の温度と思考回路以外は、結構似た者同士だ。
 互いのシッポを自分の物だと思って掴んでいる。そしてそれを、恐らく離す気はないのだろう。






END



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