冬のバス停 11


 冬真の家は、バス停から十分ほどの場所にあった。優也の家とはちょうど反対側だが、同じ町内だ。今まで冬真の存在を知らなかったのが不思議なほどだった。もしかしたら、後から転校してきたのかもしれない。
「おじゃまします……」
「誰もいないから、気にしなくていい」
「親は?」
「仕事」
 冬真はやけに簡潔に答えた。だから毎日、姉の見舞いに行っているのか。そこで、冬真の恰好を見てふとある疑問が沸き起こる。
「ってか、学校は」
 冬真が何年生なのか分からないが、制服を着て病院を往復するのは、少し妙な気もする。
「今春休みだし。俺、一応就職組だから」
「あ、同い年……。じゃなくて、制服、なんで着てんの」
「そりゃあ、ま、楽だから」
 そんなものだろうか。そう言っている間にも、階段を上った先の突き当たりの部屋に案内される。
「俺の部屋だ。ベッド、使えよ。まだ寝てろ。今、ジャージかなんか取ってくる」
 きちんと畳まれた布団をめくりあげながらそう言って、冬真は部屋を出て行った。優也は部屋を見回しながら、ブレザーのボタンを外す。特にこだわっているわけでもない、シンプルな部屋だった。しかし、その飾り気のなさが冬真らしく思えて、優也は自然にリラックスしていた。
「ほら、これ着ろ。今、暖房つけるから」
 冬真に渡されたのは、ワンポイントのTシャツと上下の黒のジャージだった。ふわりと洗剤の香りがして、優也は妙に気恥ずかしくなった。
「腹減っただろ。何か作るから、待ってろよ」
「お前が作んの?」
 思わず、そう聞き返していた。そのしっかりとした体躯からか、料理というイメージが結びつかない。
「悪いか?」
「いや、別に……」
「まあ、早く着替えて寝てろよ、病人」
 微かに笑みを浮かべながら、冬真は部屋を後にした。あとに残った静寂のなかで響くのは、エアコンの稼動音と、布ずれの音だけだった。
「やっぱ、ちょっとでかい……」
 ジャージを着ると僅かに足の裾が余って、猛烈に悔しくなる。着慣れない服の感覚に戸惑いながら、寝なれない冬真のベッドに横になった。楽な恰好で楽な体勢になったからか、気持ちよさに身を任せて目を瞑ると、すぐに睡魔はやってきた。
 久しぶりの、本当に心地よい睡眠だった。


***


 夢は見なかった。優也はふと意識を浮上させると、ゆっくり瞼を持ち上げた。
「起きたか」
 穏やかな声に安心する。首だけを横に向けると、椅子に座った冬真が、読んでいた小説を閉じて脇に置いたところだった。
「俺……どんくらい寝てた?」
「一時間くらいだな」
「なんか、悪い」
「別に、いい」
 何か言おうとしたとき、ふと机の方から良いにおいが漂ってきた。思わずそちらに目を向けると、小さい土鍋が乗っかっている。
「あのさ、あれ……」
「あ、一応雑炊作ったんだけど、食べれるか?」
 冬真は席を立つと、机の上からそれを運んできてくれる。優也は上半身を起こすと、もう一度においをかいだ。食欲は正直それほどなかったが、これなら食べられそうだ。
「冬真は?」
「俺はもうすませた」
「そーか」
 優也は視線を土鍋の中に落とした。スプーンでまだ温かいそれを口へ運ぶと、野菜の甘みと塩味で、やさしい風味が口いっぱいに広がる。
「ん、まい」
 思わず目を瞬かせる。ほめられた冬真は満更でもない様子だった。
「食べられる分だけでいいからな」
 そう言いながら、冬真は優也の食べる様子をじっと見つめてくる。それが、妙に気になって仕方が無い。
「あのさ」
「何だ」
「そんなに見られてると、食べづらいんだけど」
 たまらず指摘すると、冬真は自分がじっと見ていたことに初めて気がついたようで、慌てて顔をそらす。
「悪い」
「いーよ。それより冬真、お前さ、料理人にでもなればいいじゃん」
 冗談めかして言ってみたのだが、冬真の反応は予想外のものだった。
「なりたいけど、な……」
 曖昧な肯定だった。どうやら、その道も視野に入っているらしい。そういえば、冬真は就職組だと言っていた。
「冬真、就職どこなの」
「喫茶店。俺のばあちゃんがやってるから」
 なるほど、そういうことかと、優也は頷いた。最終的には店を持ちたいと考えているのかもしれない。
「いいなあ」
「別に、コネだけじゃねえぞ」
 冬真が眉を寄せる。慌てて優也は手を振ってそれを否定した。
「違う、そうじゃなくて、就職が」
「……優也は進学……だろうな、赤船だろ、その制服」
 冬真が、たたまれた優也の制服を見ながら言う。赤船高校は地元ではわりと有名な進学校で、その生徒の八割方が大学もしくは専門学校に進んでいる。制服が仁のお下がりで済むというそれだけの理由で、優也はこの高校に入った。だから――だろうか。就職というものに、無性に強い憧れを感じるのだ。
「まあ、ね」
「まだ、授業があるのか」
 冬真が淹れてくれた熱いお茶を飲みながら、優也は僅かに首を振った。
「授業じゃなくて、課外。二次試験があと二週間とちょっとだから、必要な人だけ出る」
 ふうんと、冬真は頷いた。
「俺のところは、進学組と就職組に分かれてるからな」
「どこなの、その制服」
 どうしても気になるので聞いておくことにする。失礼かと思ったが、冬真は特に気分を害した様子もないようで、その質問に答えた。
「奈城高校だ」
 その高校名ならば、優也も聞いた覚えがあった。しかし、ここからは大分遠い所にあるはずだ。
「遠くない」
「遠いな」
「何で通ってんの」
「電車だ」
 そこで一旦、会話が切れた。優也は結局ほとんど食べきった雑炊を、冬真に渡す。 
「ごちそうさま。マジうまかった」
「いや、これくらい、なんでもない」
 そう言う冬真の顔が綻んでいる。優也もつられて嬉しくなって、意味もないのに笑っていた。
 時間は、既に三時を回ろうとしていた。
 鞄の中から鈍い振動音が響いたのは、そのときだ。優也がベッドから降りようとするのを制して、冬真が鞄を布団の上に置いてくれる。
「さんきゅ」
 中をまさぐって携帯電話を取り出すと、着信のようだ。二つ折りの本体を開いて――さっと、血の気が引いた。
「母さんだ」
 冬真が気遣わしげな視線を向けてくる。優也は熱い唾を飲み、一瞬の迷いを振り切って通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『優也! あんたまた学校行ってないんだって?』
 覚悟はしていたつもりだったが、途端、割れんばかりに響いてきた母の声に、優也はびくりと肩を震わせた。心臓の音がうるさい。頭の芯はぼんやりするのに、思考はどんどんシャープになっていく。
「ごめん、今日は……」
『今どこにいるの? ねえ優也、正直に答えなさい』
 母の、このゆっくりとした力強い口調が、優也は苦手だった。まるで逃げ道をふさがれるかのようなプレッシャーが圧し掛かってくる。
「あ……」
 声が、声にならない。何を言えばいいのだろう。嘘をつけばいいのか。いや、だめだ――……。優也の鈍った思考回路は、問いの正解を導いてはくれない。
『どうなの、優也!』
 もう嫌だ――優也の心の声が聞こえたのかもしれない。それまで微動だにしなかった冬真の手が動いた。素早く優也の手から携帯電話を掠め取ると、一寸の迷いもなく耳に当てる。
「もしもし」
 母の困惑した声が漏れてくる。「すみません」と謝った冬真が、静かに、しかし淡々とした口調で続けた。
「熱があるようだったので、病院に連れて行って、今は俺の家で休ませてます」
 冬真の声色に迷いは一滴もない。嘘はついていないし、むしろ堂々としているのだが、どこか後ろめたい気持ちになるのはなぜだろう。優也が半ば上の空でそれを考えていると、電話を終えたらしい冬真がたたんだ携帯電話を突き出してきた。
「あの、なんか……ごめん」
「お前が謝ることじゃないだろ」
「じゃあ、ありがとう」
「……ああ」
 受け取った携帯電話から引き剥がした目線をそろそろと上げると、冬真は黙って頬をかいていた。この男には、助けられてばかりだ。優也は、自分に何もできないことが酷く歯がゆく感じられた。
「俺、冬真のアドレス知りたい」
 ふと、思いつきで口をついたのがそんな台詞だった。言ってから照れくさくなったのだが、意外にも冬真はあっさりと承諾する。
「俺も、優也のが知りたいと思っていたところだ」
 そうして、さっさと携帯電話をポケットから取り出す。あまりにあっさりした返事に、優也は一瞬きょとんとして、
「すげえ、俺ら心通じ合ってんのかも」
 半分本気でそう言ってみる。
「はは、……かもな」
 半分冗談でそう返ってきた。


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