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「Suses oder Saures!」――昨年の10月31日月曜日、ドイツ人留学生にもちろん流暢なドイツ語でそう言われて、ぽかんとしてしまったのを覚えている。 ハロウィンといえば外国ではさぞかし伝統的な行事なのかと思っていたが、どうやらそれは主にアメリカでのことで、ヨーロッパではここ十数年の間で急速に広まったらしい。だいたい、日本でも必死になっているのはお菓子業界や飲食店業界だけで、当の国民はというとハロウィン自体に興味がない人も多い。 ――しかし、町おこしだなんだと騒がれているこのご時世、地元の商店街は、異国のイベントにも非常に敏感だった。田村綾斗がアルバイトとして働いている家庭風居酒屋『すゞね』も、もちろんその一員だ。 「この商店街も、暇だよなあ」 綾斗は、動きづらい狼の着ぐるみに眉を顰めながら、手元にあったチラシを隣を歩く男――梶辰雄に渡した。彼は同じ大学に通う幼馴染だが、『すゞね』の女主人である鈴音の長男であり、アルバイトというよりは従業員のような仕事ぶりである。綾斗と同じく動きづらそうな黒いマントを羽織ったままそれを一瞥すると、 「ああ面倒だ」 今更のようにそうコメントした。 「去年はもうちょっと小規模だったよな」 「まあ、あれはただの客寄せだからな。どこもかしこも同じことするんなら、まとめてイベントにしちゃえって魂胆だろうけど」 チラシは今日の日付で「えがお商店街・ハロウィン仮装行列」とプリントされている。200mほどの商店街を仮装した商店街関係者が練り歩くのだが、目指すことになる自然公園ではパフォーマンス大会などが催されるらしい。 「ほんと、面倒……」 しかし、今や完璧な吸血鬼へと変身した辰雄は、誰の目から見てもわかるほどに露骨にやる気がない。午後四時ではまだ日は沈まないが、日光を浴びてこの吸血鬼が溶けてしまわないか少し不安だ。 「まあまあ、鈴音さんの指名だし」 「いや、どうせ春姉が面白がって決めたんだろ」 「タツ、何か言った?」 辰雄の呟きに、後ろから反応が返ってきた。わざわざ振り向かなくても、その声の主はわかっている。鈴音の長女、そして辰雄の姉でもある春音だ。妙な威圧感に綾斗まで緊張しながら後ろを振り向くと、彼女はかわいらしい三角帽を被った魔女のコスプレでそこに立っていた。普段から色白の肌が際立って大変艶めかしいのだが、いかんせん、綾斗も辰雄も彼女には頭が上がらない。手にした長い竹ぼうきがいつこちらに飛んでくるのか、ひとえにそれが危惧するところだった。 「何も言ってねーよ。仕込みは?」 「母さんと鈴木君に任せてきたわ。まだ時間あるし、ゆっくりやっても間に合うでしょ」 春音はもう片方の手に持っていた大きなかぼちゃのぬいぐるみを突然綾斗に押し付けると、誰かを探すように周りの奇抜な着ぐるみ集団を見まわした。 「あの、春音さん?」 「あ、これ、頼むわね。私は実行委員と打ち合わせあるから、先に行くわ」 何かを言う間もなく春音は足早にその場を去って行った。押し付けられたカボチャと彼女の後姿を見比べながら、綾斗は何とも言えない疲労感にため息をつく。 「それ、何?」 辰雄がぬいぐるみに興味を持ったので、ぽんぽんと叩いたりしてみる。妙に重量感があるが、中に何か入っているのだろうか。まさか、時限爆弾とか……。ありもしない妄想に、耳を近づけてみたりする。 「おい、これ穴じゃねえ?」 そう指摘されて茎の付け根の部分をよく見ると、確かに僅かな隙間がが開いている。その切り口を見る限り、無理やり開けたもののような気もするが――手を突っ込んでみると、ごそりとビニール包装の感触。 「お菓子だな」 「なるほど」 と、するとやはりこのカボチャは春音の手作りなのだろう。任命されたのは子供にお菓子を配る係、ということか。 「さすが春姉……」 辰雄もさすがに感心したようで、ひとつ取り出してしげしげと眺めている。見ると、小さなクッキーの袋にホチキスでなにか留めてある。名刺サイズの店の広告だ。……さすが、春音さん。 「さて、俺たちも行くか」 「何事もなく終わってくれればいいけどな」 独り言のようにつぶやくと、綾斗は辰雄と共に穏やかな行列の流れに加わった。 *** 「くまさん、お菓子ください!」 「はいどうぞ。くまじゃないけどね」 幸か不幸か、この狼男のコスプレは子供に大変な人気だった。遊園地のマスコットキャラクターとでも勘違いしているのか、写真撮影や握手を求めてくる人が絶えない。おかげで、お菓子の方も順調に捌けている。 「おつかれ、くまさん」 「だからくまじゃねえって……お前は楽そうでいいよなあ」 綾斗が小さな見物人に引っ張りだこなので、お菓子の入ったかぼちゃは辰雄が抱えている。そういう彼も女性に熱い視線を送られていたが、綾斗のものとは年齢が違う。敗北感を感じたが、当の本人は全く気付いていない様子だったので黙っておく。 「似合ってるぜ綾。その服どうなってんの?」 「背中にチャックついてるんだ。着るとき苦労した」 「なるほどな」 辰雄がそう言ったきりじろじろと見てくるので、「なんだよ」と言って睨み返してやる。彼は悪びれる様子もなく「べーつに」とはぐらかした。釈然としない。 「お、祭りみたいになってる」 ようやく道路の向こうに見えてきた自然公園の入り口は、祭りさながらの提灯が連なっていた。いったい何のイベントなのかわからない適当ぶりだ。 「せめてかぼちゃくらい用意しろよな」 呆れていると、 「もともと金ないのに、そんなことするかよ」 辰雄は早々に納得したようで、指差して「屋台も出てるぜ」などと言っている。 「でも、向こうに着いたら俺らはすぐユーターンだろ。店は人手が足りなくなるだろうし」 「……あー」 綾斗のもっともな意見に耳が痛いのか、辰雄は僅かに舌を出して見せた。そうこうしているうちに、歩行天国になった道路を堂々と渡って、自然公園に到着する。主催の人の声が随分遠くから聞こえる。とろとろと歩いていたから、集団の最後尾になってしまっていたようだ。概ね、本日はありがとうございました、ジュースを無料配布するので取りに来てください、ということだった。 綾斗が二人分のジュースをもらってくると、辰雄はそれをさっと受け取って、一気に呷った。グレープジュースだったのだが、吸血鬼の彼がそれを飲んでいるとただのジュースに見えない。 「じゃ、サボろう」 男らしく整った辰雄の横顔を見ていたので、彼がいきなり発した言葉を即座には理解できなかった。その間に辰雄は一人でさっさか歩き出してしまう。腕を引かれなかったのは彼の両手が塞がっていたからだろうと言い訳のように考えた。 「サボるって、どこにいくんだよ?」 「決まってんだろ。こんなに楽しそうなのに、参加しない手はないぜ」 「タツ……お前も懲りないな、また春音さんにどやされるぞ」 ぼそりと言うと、これはてきめんだったのか少し怯んだが、最早決断を覆す気はないようだった。 「あー俺ケータイ失くした―」 わざとらしい演技で自分の携帯電話をかぼちゃの中に突っ込む。俺は見た。見たぞ。 「大学生にもなってすることかよ……」 呆れ気味にそう言いながらも、綾斗は辰雄と共に賑わっている公園の広場へと歩き出していた。やはり、気になるのは同じだ。 出店の通りを抜けてサークル状の広場へ出ると、その中心に設置されていたのは半透明の素材でできたかぼちゃのオブジェだった。その中に光源があるのか、内側から淡いオレンジの光が灯って辺りを照らしている。商店街の実行委員を正直少し馬鹿にしていたが、これは認識を改めねばなるまい。神秘的で、なにより綺麗だ。 「すげえな……巨大かぼちゃ」 まるで中身のない辰雄の感想に、感動しかけた気分を一気に削がれた。 「巨大かぼちゃって……もうちょっとムードってもんを考えろよ」 文句を言ってみる。日も暮れようとしているこの辺りは、既にカップルだらけだ。十月の終わりらしく、冷たい風が吹き始めている。 「ムード、か」 辰雄はおもむろに呟いて、かぼちゃとジュースを石タイルの上に置いた。綾斗は前科がたっぷりあるこの男の怪しい行動に警戒して、一歩引く。 「こんなとこで、変なことするなよ?」 辰雄とは、所謂「変なこと」を戯れにするような、友達以上の関係――ちなみに「以下」のラインについては、まだ未確定――だった。そして、割と見境なくじゃれついてくる辰雄には、どうも忍耐とかそういったものが欠けているように思う。 「人がいるから?」 「人がいるから」 綾斗はびしりと言い放つと、辰雄と暫し対峙した。別に睨み合っているわけではない。互いに駆け引きめいた視線を交わしているのだ。さて、どう出るか。 「わかった」 あ、引いた。……と思ったのも束の間だった。辰雄は自らの黒く長いマントの留め具をいじって取り外すと、それを頭から被せてきた。被せすぎて前が見えない。 「これで周りから見えないだろ」 「俺も前が見えないけどな」 「俺はお前しか見えないぜ」 くだらないことを言ってるんじゃねえと小突こうとしたが、それは叶わない。辰雄が「ムード」とやらを考えた結果なのか、ふわりと抱きしめられる。髪を固めたせいだろう、普段はあまり嗅がないワックスの匂いがした。それほど身長差があるわけではないので、これだけでサカっているお互いの節操のなさはすぐにわかる。 「キスぐらいはいいだろ、な」 「しょうがねーなあ」 そんなことを言いながらも、彼とのキスは嫌いではなかった。男同士で変だ、なんて悩んだ時期もあったなあと思い出す。慣れとは怖い。 「は……っ、」 「……やべー」 唇を離して痺れた頭で辰雄の顔を見ると、同じような顔をしていたので嬉しくなる。彼はおそらくこう思っていることだろう。 「やりたい」 下世話な話だ。それこそ、ムードもクソもあったもんじゃない。それを承知で口にすると、辰雄は僅かに目を見開いて、しかし何も言わなかった。腰があたっているのだからわざわざ言わなくとも答えはわかっている。 「綾」 辰雄がとびきり甘い声で囁く。それは綾斗の耳元を擽り、興奮を誘った。彼の手が背中のチャックに伸びて、静かに下ろしていく。自分も相当変態だ。 「タツ」 辰雄の顔が見たくて、顔をしっかり上げる。既に日の落ちた周りは、巨大かぼちゃの明かりで控えめにライトアップされている。随分明るいな、と思いながら彼の背後の黒い影に目をやって――硬直した。 「あ、あ、あ、」 「なんだよ綾、まだ何もしてないぜ?」 「う、うし」 「ろ」は言えずじまいだった。彼の片越しにどんどん大きくなる影。そのとがった頭、長いほうき、そして漆黒のコスチュームの正体はまぎれもなく……。 「あんたら……」 「げ」 ようやく気が付いた辰雄が振り返った時にはもう遅い。逆光でよく見えない表情が、いびつに歪む。綾斗は後悔した。 「なに、サボってんのよおっ!!」 かくして、恐れていたことが起こった。春音の持つ(本来ならキュートなアイテムである)竹ぼうきが容赦なく辰雄と綾斗に降りかかる。「ケータイを失くして」なんて言い訳は、辰雄の口から出てくることはなかった。当たり前だ。ぎゅ、と目を瞑る。 「…………」 ――しかし、覚悟した痛みはやってこない。恐る恐る目を開けると――、春音は呆れたように笑っていた。 「Happy Halloween!」 そう言ってかぼちゃのぬいぐるみを持ち上げ、踵を返す。二人はしばし呆けていたが、辰雄が吹きだしたのをきっかけに、声を上げて笑う。 「ハッピーハロウィン!」 綾斗は春音の真似をした。 「ハッピーパンプキン!」 すかさず、辰雄も返してくる。思わず、 「なにそれ?」 と聞くと、 「アレンジ」 妙に自信ありげに答えてくれたので、もう一度笑った。笑いながら、思い出す。 「Suses oder Saures!」 聞きかじっただけの、へたくそなドイツ語。 「甘いものか嫌がらせか」――もちろん、甘いほうをいただこう。 綾斗は微笑んで、今度は自分から、悪戯のように唇を重ねた。 END |