昨日から降り出した雨は止まずに、しとしとと降り続いている。野崎は窓から薄暗い四月の空を見つめ、カーテンをひいた。天気のいい日は窓を開けたままにするのだが、こんな日はそんな気分にもならない。うるさい羽虫が部屋に入ってこないことだけが唯一の救いだろうか。 テレビをつけると、ちょうど夜の報道番組が終わったところだった。これから何が始まるのか覚えていないが、恐らくクイズやバラエティの類だろう。飯田が好んで見ている『こんばんは皆さん』かもしれない。チャンネルを変えずに椅子に座ると、部屋の隅に纏められたゴミ袋が目に入った。思わずため息がこぼれる。一昨日、高橋と飲んだときの空き缶だ。あの後西山が酒の残りを全部処理してくれたから、冷蔵庫の中はスポーツドリンクが一本入っているだけに落ち着いている。しかし、このゴミを持っていくのは何となく億劫で、後回しにしてしまっていたのだ。 「……誰かに見られたら最悪だな」 もしも寮の先輩に鉢合ったりしたら、確実に茶化されるだろう。リアリティ溢れる想像をして、辟易する。 こうなったら、夜遅くか朝早くに持っていくしかないか。 野崎が気分を変えるようにテレビのリモコンに手を伸ばすと、ちょうどドアのノックが響いた。 西山がCDを返しに来たのかもしれない。野崎は適当にスニーカーを引っ掛けてドアを開ける。 「……」 その向こうにいた人物に野崎は一瞬固まって、いっそこのまま閉めてしまおうかとも考えたが、やはり良心が働いて、 「……なに」 とだけ、投げやりに聞いた。 「そんなに警戒しないで下さいよ、野崎さん」 ドアを閉められないように片足をしっかり前に出している辺り、この男――高橋幸直は、周到であった。 「用が無いなら、帰れ」 「いきなりキツイっすね。安心してください、今日は違いますから」 高橋はわざとらしく両手を頭の横まで上げる。それならこの足をどけやがれと野崎は思ったが、それよりも彼の言い回しが引っかかって眉をひそめた。 「何だよ、今日は違うって」 「やー、大森が……」 「大森?」 「いや、なんでもないっす」 高橋はかぶりを振って自分の言葉を取り消すと、 「このあと、一、二年で飲みません?」 やけに明るい声で言った。その誘い文句からすると、今日の飲みは二人きりじゃないから大丈夫、と……そういうことだろうか。しかし、一度不信を感じてしまったからか、それにも何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。人間不信とはこういうところから始まるのだろうかと、野崎はふと思った。 「そんな目しないでくださいよ、本当ですから」 肩を竦める高橋を見て、それでもまだ無言を続けていると、不意に彼の後ろから茶色い頭が飛び出した。 「なに、野崎行かねーの?」 「西山」 どうやら、この部屋に来る前に西山にも声をかけたようだ。高橋を見ると、それみろといった表情をしている。途端に立つ瀬が無くなって、野崎は小さく「わかったよ」と呟いた。 「じゃあ俺先に行ってるんで、準備できたら、大森の部屋……二〇四まで、来てください」 高橋はこうなることがはじめから分かっていたかのようなしたり顔で、話し終えるが早いか歩き出していた。ぽかんと西山を見ると、彼は原色だらけのピンで、前髪をとめているところだった。 「西山、あいつ、どう思う?」 ふと聞いてみる。西山は自分の髪と格闘しながら、少しだけ考える素振りを見せた。 「フツー」 「あ、そ」 ろくに考えていないような答えだったので野崎もさっさと流そうとしたが、テレビを消そうと再び部屋に上がりこんだところで、でも、と聞こえた。振り向くと、作業を終えた西山がこっちを見ていた。 「でも、野崎に何かしたんなら、嫌いかな」 「なんだよ、それ」 軽い冗談だと笑い飛ばそうとして、笑顔が引きつった。この男は特に勘がいいから、もしかしたら一昨日自分が高橋と飲んでいたこともばれているのかもしれない。野崎はテレビと部屋の電気を消すと、話題を変えるように、 「鍵、かけたほうがいいかな」 と、独りごちた。 *** 大森の部屋は西山の部屋の隣で、二階の突き当たりにあたる。去年は空き部屋だった部屋だ。そういえば高橋の部屋ももとは空き部屋だったな、と思い出す。今年は部屋が全て埋まって、久しぶりの豊作だと鈴木が話していた。 野崎が西山と共にそこを訪れたときには、既に殆どのメンバーがそろっているようだった。高橋のほかに、大森と同じく一年の石川秀、それから飯田と寺島が、ソファベッドに座りながら何か話している。 「あれ、肝心の大森は?」 西山の発言に首をめぐらせると、確かに主催者の姿が見えない。石川がその質問に答えようとして、あ、と声を上げた。 「あ、先輩方、来てくれたんすね!」 耳元で大きな声が聞こえて、思わず全身を震わせてしまう。心臓を高鳴らせながら振り向くと、すぐ後ろに大森の姿があった。重そうなコンビニの袋を二つ提げている。恐らく酒とつまみなのだろう。 「おい大森、お前そのバカでかい声何とかしろよ。野崎さん怖がってんだろが」 意外にも、そんなことを言ったのは高橋だ。とりあえず狭い土間で靴を脱いで中に入ると、大森が申し訳なさそうにうなだれていた。 「すみません、野崎さん」 相変わらず大型犬のようなその仕草に、野崎は苦笑して、いいよと手を振った。 「なあ、何で三、四年は呼ばなかったの?」 西山がテレビのチャンネルを変えながら大森に尋ねる。大森はまだ情け無い表情をしたままで、コンビニ袋をテーブルに置いたあと、頭をかいた。 「ああ、そりゃあ俺の部屋に入りきらないんで」 「大森、来週は三年生、再来週は四年生と飲むつもりらしいんです」 石川がおかしそうに笑いながらそう続ける。野崎も納得がいって、テレビを背にして座った。しかし、そこで飯田がこちらの会話に入ってきた。 「でもさ、四年生って小塚さんだけだろ?」 金葉荘ただ一人の四年生である小塚英介は、現在就職活動中らしく、姿を見るときにはいつもスーツだ。野崎たちが入ってきたときにはもう既にそのような感じだったので、実際、話したことがあまりない。 「小塚さんって、酒の場にいつもいない気がするけど」 野崎はここ一年の記憶を思い起こしてそう告げた。何度か食事を共にしたことがあるが、部屋で酒を飲みながらつまみ、というイメージがしっくりこない。 「大森、がんばれよ」 高橋がさらりとこぼした。大森がそれを聞いて、あれ、とオロオロしている。 「ぼ、僕は一緒に飲んであげるから」 石川がそれを慰めにかかる。一年生同士が会話しているのを聞くと和んでしまうのは、自分がここにいる誰よりも年長である所以だろうか。 「ま、がんばれよ。なあ、あけていいか?」 西山がごろごろ袋の中をあさりながら、ビールを一人で取り出している。野崎もビールを一本、そこから手に取った。 「あ、俺にも」 飯田にも手渡す。それを皮切りに、一気に部屋の空気が飲み会特有の親密なものに変わっていった。 「まだありますから」 大森は冷蔵庫の隣に置いてあったダンボールから大きなボトルを取り出すと、机の余っているスペースにそれを置いた。 「なにこれ、焼酎?」 西山が透明なボトルのパッケージを眺めながら言う。見ると、崩し字のような書体で難しそうな漢字が書いてあった。 「親が引越しのときに置いていったんすよ。ジュースあるんで、割って飲みましょう」 「俺、それ無理だからチューハイな」 ソファの上でテレビを眺めていた寺島が突然言葉を発する。取れということだろうか。野崎が適当に見繕って渡すと、彼は聞き取れないほど小さな声で何か呟いていたが、黙ってプルタブを開けた。やはりどうも、苦手意識が着いて回る。 「じゃ、カンパイ……って、西山さん、フライングっすよ!」 見ると、西山は既に缶ビールをぐいと傾け始めていた。 「あ? 細かいこと気にすんなって。ほい、じゃあカンパイ」 西山の適当な音頭により、各々が缶やコップをぶつけ合う。総勢七人がすし詰めになった二〇四号室は、九時から放送の『こんばんは皆さん』をBGMにしながら、暫し、どうでもいい話題で盛り上がった。 |