ユタカが女子に呼び出されていたことを、キョウは知っていた。 年に一度のバレンタインデーだ。教室どころか学校中、浮かれている。黙って帰ってしまおうかとも考えたが、そんなことをしたら電話で泣きつかれそうだったので、キョウは玄関先でユタカが来るのを待った。 「キョウ、あのさあ」 歩きながら、ユタカが嬉しそうな声を出す。きっとチョコレートのことだろう。キョウはポケットの中に手を入れて、その中のものを指先で転がした。 「……俺、チョコもらっちゃったよ」 ユタカの声が、耳にキンキンと響く。この男は、自分が去年何を言ったか覚えていないのだろうか。 『ええ、キョウちゃん、チョコくれないの』 その頃はまだちゃん付けで、今より少し背が低かった。一年前のユタカは確かに、キョウが男だと分かっていながら、そんなことをめそめそと泣きながら言ってきたのだ。 「何か言ってよ、キョウ」 苛立った声が聞こえて、キョウはようやく立ち止まった。ユタカの顔を見ると、いつになく反抗的な目をしている。今年からめそめそ組は卒業したらしい。 キョウは奥歯をぎり、と噛んだ。なんだか馬鹿らしい。この男も、自分も。 「よかったな」 だからそれだけを告げると、キョウは立ちすくむユタカを置いて歩き出した。もう、日が暮れようとしている。 「……馬鹿だよな」 こんなつまらないイベントも、そんなことで浮き足立つ世の中も。 キョウは後ろを振り返らないまま、ポケットの中のチロルチョコを、また転がした。 (2010/11) |