真夏の出口 1


 その日は本当に暑くて、外に出ているだけで汗がにじんでくるような快晴だった。強いアスファルトの照り返しに息苦しさを感じながら、人ごみを避けて進む。細い路地に入ってからしばらく歩くと、無機質な白い建物が見えてきた。寂れた赤い看板に『横井鉄鋼』と書いてあったので、間違いない。その隣の空き地が目的地だった。空き地は、テレビや冷蔵庫などの粗大ゴミや、鉄の欠片などのガラクタがひしめく広いゴミ捨て場のようなところだ。
「ここか……」
 しつこくにじんでくる汗をTシャツの袖で拭いながら、青海慎(おうみしん)は、古くなってすっかり錆びたフェンスの扉をゆっくり開けた。
 ガラクタに躓かないよう慎重に進んでいくと、奥に自分と同じくらいの背格好の男が見えてきた。緊張しながら一歩ずつ距離を縮める。
 ふと、男が振り向いた。一瞬驚いたような顔を浮かべて、しかし次第にその顔が険しくなる。まさか、睨まれているのだろうか――そう思った瞬間だった。
「ぼっちゃんが来る所じゃねーぞ、帰れ」
 男が突如、履き捨てた。それだけ言うと、向こうに歩いていく。ガタガタと、細かいガラクタを蹴る音が小さくなっていく。
 慎はその場を動けなかった。汗が顔の横を伝う感覚が、じりじりと肌を焼く蒸し暑さが、これは現実だということを伝えている。屈辱的だった。このまま帰ってしまおうかとも考えた。
 しかし、慎は黙って男の後を追った。これは誰にも関係ない、自分のための挑戦なのだ。今まで人に言われるままに行動してきた自分の、初めて自分で決めた決断なのだ。
 慎の足は再び歩き出すと、もう止まらないぞとばかりにどんどん進んでくれた。しばらく歩くと、一帯がぽっかり開けている場所に出る。既に数人の男が集まっているところを見ると、ここが集合場所らしい。男たちの視線が慎に突き刺さって居心地が悪い。見ると、その中にさっきの男もいた。案の定睨まれたので睨み返してやったが、内心はドキドキだ。慎は普段、人に睨まれる様なことはしないし、もちろん自分から睨むこともない。もともと温厚な性格なのだ。
「君も参加するの?」
 探り探りの雰囲気が漂う中、その空気を切り裂くようにひときわ明るい声が響いた。声の主は長い足で軽やかに慎に近づくと、「いくつ?」と聞いてきた。
「え?」
「歳、いくつ?」
「あ……十八です」
 近くから見るとよけい男の長身が目立つ。髪は明るい茶色に染めていて、いまどきの若者といった感じだ。
「へー、高校生?」
「はい」
 親しげに話しかけてくる男に少し困惑しつつ、とりあえず慎は建前の笑顔を浮かべておく。
「若いっていいねーホント」
「はあ……」
「そこらへんにしとけ、七雄。びびってんだろが」
 ため息をつきながら助け舟を出してくれたのは、奥にいた強面の男だった。ナナオと呼ばれた目の前の男とは対照的に、坊主頭が真面目そうな雰囲気を醸し出している。
「えー、君、びびってんの?」
「い……いや……」
 こっちにふらないでくれと思いながら、慎は口ごもって目をそらした。この人は苦手だ。
「ほらー。だいたい和也のがオソロシーじゃん」
「お前なあ……」
 そのまま二人でなにやらぐちぐち言い合っていたが、ふとカズヤと呼ばれた坊主頭がこちらを向き、驚くほどやさしそうな声で慎に話しかけた。
「こいつは安藤七雄。礼儀のない奴だが我慢してくれ」
 隣で七雄が不服そうな顔をしているが、彼は気にすることなく続ける。
「俺は黒沼和也だ。君は?」
 この男は、見かけによらず親切な人のようだ。慎はようやく肩の力を抜いて、まっすぐに黒沼を見上げた。不思議と浮ついていた気分が落ち着いてくる。
「青海慎です」
「青海君か。高校生だったな」
「はい」
「あそこにいる白崎も高校生だから、仲良くするといい」
 そして、黒沼の指差した先を見るために振り返り――その男と目が合う。慎は一気に眉を寄せ、思わず、
「げ」
 ともらした。
「何だ、知り合いか?」
「イエ、まったく」
 知り合いどころかさっき会ったばかりだ。しかも、初対面でいきなり「ぼっちゃんは帰れ」発言をした失礼極まりない奴である。
「白崎も知ってるみたいだしな」
 どうやら黒沼はどうしても慎を彼と友人にしたいらしい。もう一度否定しようとして……、引っ込める。
 よく見てみると、目が合った白崎もまた、「げ」という顔をしていたのだった。



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