真夏の出口 3


「みなさん、おそろいのようですね」
 妙に高い声と共に姿を現したのは、グレーのスーツに身を包んだ眼鏡の男だった。四十代くらいの風貌だが、背中がぴんと張っていて、妙な迫力を感じた。
 その場に集まったのは慎を含め七人だ。その面々を見渡すと、男は恭しく礼をした。
「私は責任者の佐上です。詳しいことはバスの中でお話します」
 その晴れ晴れしいほどの笑顔に、慎はにわかに不安を抱いた。柔らかい笑みを浮かべているが、どこか隙がないというような印象を受けるのだ。
 しかし七雄に後ろから肩を押されて歩くうち、もう戻れないという思いが緊張と共に一気に広がっていく。暑い日差しは次第に高度を上げ、慎の逃げ場をなくしていくかのようにひときわ強く地面を照り付けていた。
「みなさんには、猫を探してもらいます」
 小さいマイクロバスに全員が乗り込んだところで、佐上はちょうどバスガイドの位置に立ち、そう切り出した。
「ねこぉ?」
 慎の隣を陣取った七雄が不満げに声を上げる。
「猫探しにきたんじゃねーんだぞ!」
「ふざけんなよ!」
 後ろの席からも同じく不満の声がいくつか上がる。慎も実際、期待はずれだったかもしれないというショックを感じていた。
「これからみなさんをある古い洋館に連れて行きますが、そこに黒猫を一匹放します」
 佐上はバス内の動揺は予想済みというようにお構いなしに説明を続ける。
「三日の間に猫を捕まえた人一人に、七百万円お渡しします」
 そこまでさらりと説明し終えると、バスの中は途端にしんと静まり返った。誰も文句を言うものはいない。七雄がひゅうと口笛を吹いただけだった。
 三日間で猫を捕まえた者に七百万。慎はいまいち理解しきれていない頭を必死に動かしながら、効いてきた冷房のせいか、ぶるりと一度身を震わせた。
「ルールはそれだけです。食事は一日二回、大食堂で支給されますので、取りに来てください」
 佐上の軽やかな説明とは裏腹に、バスの中は重苦しい雰囲気が漂っていた。
「ではこれから会場へ向かいますので、皆さん自己紹介でもして仲良くなってくださいね」
 その言葉と同時にエンジンがうなる。ついに始まるのだ。まるで夢のようだと慎は思った。もちろん、七百万円を手にできる確証は全くない。全てこの男の嘘だということも考えられる。それでも、信じてみようと思ったのだ。自分の力で手に入れたチャンスを。この夏の記憶を。
「七百万円だってさー、すげー」
 七雄の呟きに、慎は無言で頷いた。もし手に入れたら……そんなもしもの話を頭で考え始める自分に嫌気が差す。金がほしくてここまできたわけではないはずだった。
「七雄さんは、残りの人たちとも友達なんですか」
 後ろに固まっている三人の男たちのことをさりげなく案じさせると、七雄は珍しく眉間に皺を寄せ、うーん、とうなった。
「いや、友達にはなれなそうだよ」
 この人にも苦手な人がいるのだろうか。慎は失礼だとは思いつつも理由を聞いてみる。
「あいつら何聞いてもニヤニヤ笑ってるだけでさ、気味悪いんだよ」
「そう……なんですか」
 何となく分かる気がした。慎は振り向こうとして、勇気がなくて止める。
「でも名前は分かったよ。髪の短い順に、本木、峰岡、井上」
 知ったばかりのはずの名前がぽんぽんと出てくる七雄に感心していると、慎はふと斜め前の席に一人で座っている男が目に入った。白崎だ。彼は窓の外を眺めたまま、時折携帯に何かを打ち込んでいた。メールでもしているのだろうか。
「白崎と仲良くなった?」
 慎の視線の先を見透かしたように、七雄がにこにこしながら聞いてくる。
「いえ、何せ今日会ったばかりなので」
 慎の即答に七雄はふーんと言っただけだったが、それは本当だ。しかも、これから和解できるかもあやしい。まあいいけどと七雄は呟いて、変わりに携帯電話を取り出した。
「まっ、俺と慎は仲良くなったってことで」
「はあ」
「メアド交換しよう」
「はあ……」
 仲良くなってアドレス交換とは、女子みたいだと思いながら、それでも慎は自分の携帯電話を取り出した。
「アレ?」
 七雄が携帯を振りながら不思議そうな声を出した。慎もつられて自分の携帯を眺める。
「おかしいな……圏外になってる」
 七雄の言うとおり――慎の待ち受け画面にも『圏外』の二文字が浮かんでいた。
 ふと思い出してもう一度、白崎を見る。彼はさっきと変わらない厳しい表情で、携帯の画面に何かを打ち込んでいた。


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