深呼吸 2


 この寮の食堂は常に解放されており、朝、昼、晩(希望者には弁当)の食事は毎日支給される。
 収容数がそれほど多くないこの男子寮「金葉荘」では、自然とこの食堂がたまり場になるというわけだ。
「新入生歓迎会……か」
「そうそう、もうそんな季節だよなあ」
「……」
「……」
 会話を交わしていた二人が感慨深げに沈黙を作ったところで、彼らの待ち人がようやく姿を現した。
「……はよー、飯田、西山」
 結局昨夜、夢を見てからほとんど眠れなかった野崎は、重い瞼を擦りながら食堂へ姿を現した。
「なんだ野崎、寝坊か?」
 持ち前の茶髪を自慢げに揺らしながら、西山千尋がからかうように言う。
「ほっとけ」
 確かに、もう講義が始まるまで10分ほどしかない。いくら寮から大学が近いといっても、これから朝ごはんを食べていく余裕はなさそうだ。
「野崎、お前顔色悪いぞ」
「ああ、ちょっと嫌な夢見てさ」
「……大丈夫か?」
 このもう一人の友人、飯田聡史が何かに勘付いたように問いかける。彼は西山とは対照的に、短めの黒髪から清潔感が漂う男だ。
「ああ」
 あの日の夢を見たということは、なんとなく言いたくなかった。野崎は苦笑とともにそう答えると、昼の弁当をもらい、一人先に出口へと歩き始めた。




***




「ハイ、まず自己紹介からな」
 そう軽快に手を打って切り出したのは、三年の鈴木亮平だ。面倒見のいい性格からか、こういった行事の仕切りはだいたい彼が買って出てくれる。すっかり夜の闇が深くなった食堂に集まった寮のメンバーがばらばらと拍手を送る。
「石川秀です。よろしくお願いします」
 石川は、まだ幼さの抜けない顔立ちに小柄な体系も手伝って、頑張ってもぎりぎり高校生といった風貌だ。
「大森和彦っす。野球サークル入るつもりでーす」
 人のよさそうな笑顔によく焼けた肌、そしてしっかりとついた筋肉が目にまぶしい。野崎は自分の貧弱な体を思って、ひっそりとため息をついた。
「高橋幸直。っと、ヨロシクオネガイシマス」
 なんだか変なカタコトでそういったのは、だるそうにしているせいか目つきの悪い男だ。友達出来無そうだな、と野崎がぼんやりと失礼なことを考えていると、
「あ!」
 その高橋がこちらを凝視していきなり叫んだ。野崎は内心びくりとしたが、
「飯田さん……ですよね」
「あ、俺?」 
 高橋の視線は野崎を通り越して隣の飯田に向けられていたらしい。飯田も驚いたのか、不思議そうな顔をしている。
「あの、俺……高校でバスケやってて」
「あ、そなんだ。どこ?」
「西城です」
「あー! もしかして、センターやってた?」
「ハイ! 覚えててくれたんですか」
「さんざんリバウンド取ってくれたからな」
 飯田が高校までバスケをやっていたのは結構有名な話だ。結構有名な選手だったらしいのだが、大学では続けていない。いつだかその理由を聞いたとき、大学では遊びたいんだと話していたような気がする。
「俺、中学んとき先輩のプレイ見て、ずっと憧れてたんです!」
 高橋は興奮に頬を高潮させて、早口でまくし立てている。先ほどまでの感じの悪い目つきはどこへやら、今はその目をいっぱいに輝かせていた。
「あ……そーなんだ。なんか照れるな」
 飯田も満更ではなさそうにしている。野崎には良く分からないが、それほどうまいのなら見てみたいと思った。飯田のバスケ姿。想像すると、やけにしっくりくる。
「えっと、じゃあ自己紹介は終わりで。あとは皆ほどほどに騒げー」
 鈴木が見かねてパーティー開始の命令を下す。とたんに騒がしくなった食堂に、慌てたように「ちょっと待った、言い忘れ!」と、付け足す。
「えっと、ここからは告知なんだけど……ここの寮生限定でスポーツサークルやってるから、興味あったらぜひ入ってくれ」
 鈴木が会長の軽スポーツ同好会「金曜会」は、この寮の名前と金曜日活動をかけて作られたという。ネーミングセンスはさておき、とりあえず適度に体を動かしたいという人がいるためか、その活動は適度にゆるい。野崎と飯田もその一人だ。
「因みに今入ってるのは……手あげろー」
 だるそうに手を上げたのは、しめて三年生が二人と二年生が二人だ。
「あー、このほかにもう一人三年がいるから」
 鈴木は困ったように付け足す。
「また久世さん?」
 西山がぼそりと言う。飯田が「おい」とたしなめると、聞こえてしまったのか鈴木が苦笑を浮かべて肩をすくめた。久世太一という三年生は、こういった集まりにこどごとく顔を出さないことで有名なのだ。中には、顔を見るのに半年かかった人もいるほどだ。野崎は金曜会で毎回会っているが、そういえばなぜ金曜会には出席するのだろう。改めて考えてみると疑問だ。
「飯田さんも入ってるんですね」
 高橋だ。意外というように、眉をひそめている。
「大学でバスケやめたって本当だったんだ……」
 そしてうつむいてしまう。
「ん? ああ、まあな……」
 おい、あんまり飯田を困らせるなよ。野崎は内心ため息をつきたいような気分だったが、高橋はそれきり黙って、安物のパイプ椅子をぎしりと鳴らした。
 西山は神妙な顔つきになった飯田を励ますように、
「じゃ、飲みますかあ」
 そういって少しぬるくなったグラスを持ち上げた。



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