深呼吸 4


  高橋幸直は、飯田聡史のファンだった。彼のボールを操る技術、機敏性、そしてシュート能力、全てが高橋の憧れだった。初めて彼を見たのは中学生のときだ。遠征で行った中高一貫校で、帰り際に見た飯田のプレイに魅了された。背番号は5だった。風峰高校の5番。高橋はその姿を目に焼き付けるように、しばらくそこを動かなかった。

「風峰の5番? ああ、知ってる知ってる。有名だからな。なんだっけ、……飯田?」
 高橋と同じくバスケットをやっている高校生の兄は、彼を知っていた。
「で、そいつがどうしたんだ」
「いや……この前の遠征で見てさ。うまいなーと思って」
 今でもあのときの興奮を思い出すことができる。高校は風峰にしようかと思っているほどだ。
「あいつまだ一年なんだよな」
「は、一年?」
 ということは、一年で早くもレギュラーにまでのし上がったということだろう。恐ろしい才能だ。
「よかったな。お前高校で戦えるじゃないか」
「戦う……?」
 その可能性が瞬時に思いつかなかった高橋は思わず目を丸くした。
「あれ、違ったか?」
「いや……」
(俺が、あの人と戦う……?)
 その言葉を無意識に想像して、ぞくり、と背中に戦慄が走るのを感じた。
 一年後、高橋は結局風峰高校には行かずに、西城高校に入学したのだ。

 しかし実際は、大会や練習試合で当たることは何度かあったものの、一人の人間としての飯田とは一度も会ったことはなかった。そこまで彼にこだわっていたわけではなかったし、三年生が引退してしまってからはただ純粋に技術を高めて強くなることを目標に、バスケットに打ち込んでいたからだ。
 しかし、その情熱が思わぬ再会によってよみがえってきた。飯田聡史は、高橋が覚えていたままの姿で、思い描いていていた通りの人柄でそこにいた。そのことに、高橋は言いようのない興奮を感じていたのだ。
 ――あの瞬間までは。
 歓迎会の途中、飯田が出て行った後、高橋もトイレと言って席を立った。彼ともっと話ができると思ったからだ。しかし、予想に反して飯田はトイレにはいなかった。部屋に戻ったのだろうか……そう思ってしばらく食堂と部屋の渡り廊下をうろうろとしていたのだが、玄関のほうからばたばたと足音が聞こえて、高橋はそちらに足を向けた。
「あ……」
 しかし、高橋は玄関の前で、ぴたりと動きを止めた。玄関先は外灯のおかげで明るくなっているのだが、そこに誰か人の姿が見えたからだ。それも、抱き合っている――。
 数秒後、その二人の正体を高橋は悟った。片方はさっきまで高橋が探していた人物、そしてもう一人は買出しにいった二年生。名前は思い出せなかった。思い出したくないと思った。激しい憎悪が全身を駆け巡る。高橋は二人の体が離れるまで、そこから目をそらせずにいた。
 その行為を、目に焼き付けるかのように。



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