ここ数日間降り続いていた雪が、ようやく止んだ。太陽の光と降り積もった雪が、視界を明るくする。この日は少し早めに家を出て、早朝のきりりとした空気を肌で感じながらバス停へ向かった。 「……いない、な」 『雪小路』の看板の周りには誰もいなかった。見慣れた光景のはずなのに、それが妙に寂しく感じられる。時計を確認すると、バス時間までは十分以上あった。 もしかしたら、あの男はまたここにやってくるのではないか、そんな淡い期待が優也の心にはあった。ちらちらと自分の来た方向に目を走らせる。どうも落ち着かない。 「あと三分……」 ふ、と白い息を吐いたとき、ざく、という音と共に、右のほうに人の気配を感じた。自分の来た左の方向ばかりを気にしていた優也は、反対側からの男の登場に心臓が飛び出しそうなくらい焦った。近くなる距離を感じてふと顔を上げてみると、男はいつものダークブラウンのコートを着ていなかった。ズボンと同じ緑色のネクタイの、制服姿だ。視線はすぐにそらしたが、一瞬見たその姿を瞬時に頭に焼き付けた。灰色のマフラー、短めの黒髪。どこの高校なのだろうか。何年生なのだろうか。何かスポーツでもやっているのだろうか。――おかしな話だ。話したこともない赤の他人のこの男に、聞きたいことが山ほどある。 「……」 会話がしたいと、こんなに強く思ったのは初めてかもしれない。優也は気を紛らわすように時間を確認する。もうそろそろバスが来る時間だ。 「……」 しかし、数分過ぎても、バスが来ない。雪のせいで遅れることはよくあるので優也は気にしないが、男はしきりに腕時計を確認しているようだった。 六分過ぎたところで、男は諦めたように踵を返した。乗り遅れたと思ったのだろうか。その背中を見て、優也の中に妙な焦りが生まれる。 「待てよ」 そして、本当に無意識に呼び止めていた。男が足を止めて、ゆっくりと振り返る。 その表情からは、何の感情も読み取れない。 「バス……冬場はさ、十分くらい遅れることなんて、よくあるから」 言い終わった瞬間、恥ずかしさが一気にこみ上げてきて顔を背けてしまった。男の反応が気になったが、再びそちらを向くことはできそうにない。 「……そうなのか」 男の声が、静かに響く。思ったよりずっと、優しそうな声だった。足音が大きくなって、さっきと同じ位置で止まった。それだけだった。ただそれだけのことに、優也は思いがけない嬉しさと安心を感じていた。 「ありがとう」 「……別に、気にすんな」 そしてその後、バスは優也の言うとおり、時間のちょうど十分後にやってきた。 「緑のネクタイに、チェックのズボン……ね。んー、どこだろうな……」 目黒は椅子に座ったまま、ぐいと背伸びして、おまけに欠伸までして、結局、分からないと答えた。 「そっか」 学校に来てからすぐに目黒の所に行って、男の制服について心当たりがないか聞いてみた。交友関係が広い目黒なら分かるのではないかと思ったからだ。 「てかさ、その人がどうかしたの?」 「ま、ちょっとね……」 思わず言葉を濁すと、目黒は大げさに手のひらを口に当てて驚いて見せた。 「やだ、優也ったら、私にも言えないようなことなのね!」 よく見ると体もくねらせている。 「ひどいわ、この浮気ものぉー」 とうとう泣きまねまで始めたところで、優也はぱん、と軽く手を叩いた。 「……とまあ、そういうことだ」 「何がそういうことなんだよ」 とは言うものの、目黒はそれ以上の追求はしてこなかった。彼のこのさっぱりしたところが一緒にいて楽だと、優也はよく感じている。 「あ、そういえばさ、」 優也はふと思い出したことがあって、そう切り出した。 「なに?」 「兄貴から電話あってさ、今度帰ってくるらしーんだ」 言いながら、思わず笑みがこぼれてしまう。それが伝染したのか、目黒もぱっと笑顔になった。 「よかったじゃん!」 「ん、まあ」 目黒は一度も仁と会ったことはないが、二人の会話の話題に上ることはよくあった。目黒は一人っ子で、兄弟がいることをひどく羨ましがっているせいもある。だからこそ、目黒が自分のことのように喜んでくれることが嬉しくてたまらないのだ。 「俺、会ってみたいなあ、優也の兄さん」 「帰ってきたら一緒にゲームでもやる?」 「え、いいの!」 その日は休み時間のたびに、仁が帰ってきたら三人で何をするかについて話し合っていた。 |