冬のバス停 27


 木曜日は、雪こそ降っていないものの空は白い雲に覆われて、冬を色濃く滲ませていた。いつもの時間に優也を学校に送り届けた後、仁はそのまま駅へ向かうようだった。会場の下見と打ち合わせがあるらしい。
 午前一杯の課外を終え、時間まで目黒と一緒に教室に残ることになった優也は、途中のコンビニで買ったパンを齧りながら憂鬱な気分だった。目黒がじろりと覗き込んでくる。
「……なーんか優也、元気ない?」
「あ? いや、うん……別に」
 答えも上の空になってしまう。それもそのはず、数日間ずっと考えていたことが、未だに自分の中で消化できていないのだ。今日のライブにはその元凶である人物が間違いなくやって来る。どんな顔をして会えばいいのか……いや、極力普通に接するつもりだが、その時になってみないと分からない。
「あー……どーしよ」
「だから何なんだよさっきから」
「……きっと、お前にはとてつもなくどーでもいいこと」
 机に肘を突きながらまたため息を吐く。目黒はむっとしたように口を尖らせて、ぶーぶーと何か文句を言ってきた。その戯れにさえも、今は応じる気にはなれない。頭の中はもやもやのままで、ちょっとでも気を抜くとすぐに冬真の顔が浮かんできてしまう。そういえばあの笑顔を、数日の間見ていない。
「恋の気配ー」
「なっ、なに言ってんだよ!」
 反射的に叫んでから、しまったと思って目黒を見た。彼は優也からそんな反応が返ってくるとは思いもしなかったのか、口をアホみたいにぽかんと開けたまま目をぱちくりさせている。
「……え、え、え、なに、なにその反応!」
 三泊くらい遅れて、トビウオのような勢いで目黒は食いついてきた。優也は自己嫌悪に陥って、ひたすら無視を決め込むことにする。
「なあなあ、教えろよ、誰、俺の知ってる子?」
 目黒は知っているだろう。優也は何も答えずそっぽを向いたまま、すっかり食べる気をなくしたパンに齧りついた。





 いつもの緑色のバスに乗って駅に着く。目を凝らすと、広場は停留所からでも遠目に確認できた。駅前の広場はたまに屋外イベントなどを行っていて、この日も見覚えのある小さな仮説ステージが組まれていた。メンバーは既に音出しを始めていて、その前には人だかりも出来ている。
「おいあれ、うちの制服だろ」
 目黒が指差した先には、確かに自分たちと同じ制服を身に纏った生徒たちも紛れ込んでいた。春休み中ともあって、平日にもかかわらず学生の姿は多いようだ。
「あ、由紀さん」
「……ほんとだ」
 目黒は本当によく気がつく。人だかりから少し離れた後ろの方に立っている制服の男と車椅子に乗った女性の姿は、一見しただけでは見落としてしまいそうだ。由紀は帽子にマスク、マフラーにコートとブランケットと、体が弱いというだけあって防寒対策はばっちりのようだ。気管が弱いのかもと考えながら傍らに立つ冬真に視線をずらすと、途端に心臓が跳ねてそれどころではなかった。おかしい。これは今までとは確実に違う質の緊張だ。
 優也が二の足を踏んでいる間にも、目黒は迷わずそちらに歩いていく。そんなわけで、見なかったふりなどは出来なくなってしまった。
「こんにちは」
「あ、こんにちは。優也君と、瞬君、だったかな」
「はい!」
 名前を覚えていてくれたことがよほど嬉しかったのか、目黒は優也の隣で嬉しそうに顔をほころばせている。優也は相変わらず冬真の顔を見ることが出来ずに、由紀のしている手袋の柄を眺めたりしていた。
「優也」
 呼ばれてぱっと顔を上げると、ばっちり冬真と目が合う。彼の顔を見た瞬間、色々な思考がごちゃごちゃと入り混じって、頭の中が真っ白になった。自分が今どんな顔をしているのかも分からない。
「……」
 冬真は、迷っているようだった。口を開いたが何も言わないまま、優也とただ見つめ合う。優也もその瞳から目を逸らすことが出来ない。
「あーやっぱお前らも来たんだ!」
 微かに漂っていた静かな空間をぶち壊すようにして、甲高い声が割り込んできた。ふっと視線を外して横を向くと、一度帰宅したのか、しっかり私服に着替えた宏夢の姿がある。
「片霧……お前ウルサイよ」
 目黒が人差し指を口元に当てる。宏夢は素直に「悪い」と謝ると、由紀と冬真に興味を示したのか「この人たちは?」と優也に尋ねてきた。
「俺らの知り合い。……蓮さんは?」
 今度は優也が問う。しかしそれは禁句だったのか、宏夢は急に元気をなくしてうなだれた。
「なんか、講義抜けられないんだって」
「そうなんだ……」
 蓮は大学生だと言っていた。こんな時間に来れるほど暇ではないのかもしれない。来られない本人より自分のほうが落ち込んでいるのではないかというほど、宏夢の落胆はあからさまだ。
「優也君のお友達?」
 由紀が柔らかく微笑む。マスクとマフラーで口元は見えないが、雰囲気はやはりいつもどおり優しい。
「はい、まあ……」
 優也もつられてへらへらと笑ってしまうが、内心では微妙な気分だった。友達、と言えるほど仲良くはないはずである。
「……夏木、そっちの綺麗なオネエサン、あとで紹介しろよ」
 繊細、という言葉がこれほど似合わない男もいない。宏夢の小さな耳打ちに優也がため息を吐いたとき、静かに流れていたBGMが鳴り止んだ。チューニングの音も、いつの間にか聞こえなくなっている。人だかりが、心地よい緊張感に包まれる。
「今日は来てくれてありがとう。楽しんでってね!」
 仁の声がマイクで反響する。観客がわあ、と湧き上がって、間髪いれずにドラムの演奏が始まった。ステージの上に立つ仁の姿は初めて見る。ギターを鳴らしながら、メロディラインを歌い始める。眩しかった。ライトのせいだけではない。雪の反射のせいでもない。やりたいことを楽しそうにやっている、全身全霊を捧げるような表現から感じる眩しさだった。
 一曲終わると、間にメンバー紹介が入る。優也の脳裏に、昨日の宏夢の話が頭に浮かんだ。ベースの一星(いっせい)、ドラムのコージ、キーボードのMASA、そして、ギター兼ヴォーカルのジン。四人が奏でるメロディは、ときに優しく、ときに激しい。今日の選曲は、去年の夏リリースしたファーストアルバムの中に収録されている曲だろう。優也にも聴き覚えがある。
「すげえな」
 隣で目黒が呟いた。
「うん」
 歓声と拍手のなかで、優也も短く同意した。それ以上の言葉はいらないような気がする。
 凄い。
 そのあとからまた何曲か歌って、ジンは汗を拭きながらスタンドマイクに口を近づけた。
「ありがとう。次が最後の曲です。……ゲストヴォーカル・レン!」
「あ!」
 叫んだのは、優也か、それとも宏夢の方か。観客の波から飛び出てステージに上った人物に、優也は見覚えがあった。
「兄ちゃん!」
 宏夢の兄、片霧蓮。その歌声は、優也の耳にもまだ残っている。透き通るような、心に響く声。
「聴いてください。"雪中花"」
 吐く息が白く濁る。最後の演奏が、始まった。




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