結局。蓋を開けてみれば80-71でブルーブリッツが勝利を手にしていた。 お疲れ様の一言もかける暇はなく、選手たちのクールダウンと会場の掃除が始まった。野崎は人もまばらなロビーを真っ直ぐ外へ向かう。まだ興奮が残っているのか、気分が落ち着かない。野崎はひとつ深く呼吸をすると、自転車にまたがった。 金葉荘の前の自転車置き場は、トタンの屋根が傾いていて、端に置くのは大変危険だ。もともと収容数も少ない寮なうえ、大学にも徒歩三分という好立地だ。車を持っている先輩もいるし、置かれている台数は決して多くない。 「くそ、最近渋くなってきた、な……」 雨漏りがあるのか、それとも雨が横殴りに降ると野ざらし状態になるからか、とにかく鍵穴が錆びて回りづらい。野崎が苦戦を強いられてると、ザ、と乾いた土を踏む音が聞こえて振り返った。 「あ」 「……何してんの?」 心底謎というような表情でそう問いかけてきたのは、飯田だった。野崎は渾身の力を小さな鍵に掛けていたが、確かに傍から見れば妙な光景だろう。 「鍵が回んなくて」 素直にお手上げのポーズを取って見せると、飯田は逡巡した後、進路を変えてこちらへ歩いてきた。よく見ると、彼はいつもの運動用のジャージ姿に、小さなエナメルのスポーツバッグを肩に掛けている。どこかで運動してきたのだろう、スポーツタオルを手に持っていた。 「あー、錆びてんの」 「さっきはかかったんだけど」 「んー、ちょっと貸してみ」 飯田は野崎の手を退かして、鍵を握った。数度力を込めてから、ガタガタと車体を揺すり、もう一度回す。カチリと小気味いい音がして、ストッパーが掛かった。 「おお」 「これはさ、コツがいるんだよ」 自慢げに言う飯田をしばし尊敬の眼差しで見る。飯田は思いついたように手を払って、野崎に問いかけた。 「そういえば、こいつでどこ行ってきたんだよ」 「え……と、駅の方に」 嘘ではない。ただ、隠していることは確かだ。嘘をつく理由も後ろめたさも別に無いはずなのに、なぜか本当の事を話すのは気が引けた。それ以上振られまいとして、野崎も切り返す。 「お前こそ、朝からどこ行ってたんだ?」 「ん……と、まあ、ちょっと体動かしに」 「ふうん……、そう」 なんだか歯切れが悪い。いや、悪いのは自分もなので、何となく妙な会話になってしまった。互いにそれ以上詮索されたくない、と思っているのが分かってしまう。きっと、飯田も察しているだろう。 「あ、そだ。西山からメールかなんか、きた?」 「焼肉だろ。七時に正門前」 「そう。おごりとか何とか言って、結局俺らも払うことになるんだろうな」 苦笑すると、飯田もその光景が予想出来たのか、つられて笑った。 「ほらほら、食い放題なんだからもっとガンガン頼めよ!」 九十分、食べ放題。学生らしいといえばらしいが、アルコールメニューは含まれていない。 「どうせ奢る気ないだろ、お前」 飯田が網の上のカルビを裏返しながらしれっと言う。西山は口にご飯を掻き込みながら、僅かにむせた。 「図星かよ」 野崎も突っ込んでおく。もともとそんな気はしていたので驚くことも嘆くことも無いが、狼狽を必死に隠す西山の姿はそれだけで笑えた。 「あ、そ、それよりさ!」 西山が話題を変えるように叫ぶ。そして不意に周りを見回して、一つ呼吸を置いた。 「なあ、……この間のCD、あったじゃん?」 思わず箸を持つ手が止まった。ちらりと横を見ると飯田と目が合った。慌てて逸らす。変に思われただろうか。 「ああ。あれがどうしたんだよ」 「うん……あれ入れたの、誰だと思う?」 あのCDを入れた人物。野崎は何気ない風を装って、「さあ」と返した。 「西山、誰か心当たりあるのか」 飯田の言葉に野崎も顔をあげる。西山は煮え切らない様子で暫し唸った。 「……あのさ、俺のポストにもあれ、入ってたんだよ」 「どういうこと?」 「だからさ……今まで俺のポストの中に、差出人も宛名も書いてない謎の封筒が、入ってるなんてことあったか?」 「そりゃ、無いな」 「絶対あいつにチェックされて……あ」 「そういうこと」 「じゃあ……まさか、寺島が」 「何の証拠もないけど、俺はそうじゃないかって思ってる」 西山はそこまで言ってしまうと、すっきりしたのか水を一口飲んだ。網の上では肉が焼けてうまそうな匂いが立ちのぼっている。 「でもさ、仮に寺島が入れたとして、なんでそんなこと?」 飯田は神妙な様子で、そう切り替えした。 「それは……知らないけど」 西山もそれ以上はどうにもわからない、と言う風に肩を竦めて見せる。 ――Tの正体が、もし寺島だとしたら。 野崎は忌まわしい雑音とぶれる画面を思い出して、殊更ゆっくりと息を吐いた。なんで、なんで寺島がそんなことを知っているのか。あの動画を、持っているのか。だいたい、メモには『野崎君』とあった。つじつまが合わないじゃないか。そうだ、あれはあの男に決まっている。一年前、車のライトを背に気の弱そうな表情をしていた、あの男――…… 「……野崎?」 「……あ」 気がつくと、西山と飯田が野崎を注目していた。さっと心の声を掻き消して、それでも誤魔化し笑いをするほどの余裕はなかった。 「お前、顔色悪くねえ?」 西山が眉を顰める。野崎は「気のせいだろ」と返したが、確かに実際のところ、血の引くような思いだった。 「な、この話はここまでにしようぜ。……肉焦げてるし」 飯田は驚くような素早さで話を打ち切ると、その場の関心を網の上へと移す。結構な時間放置されていたカルビは、もはや炭の塊のようになっていた。西山がそれを見て、急に思い出したのか慌てる。 「ほんとだ! ほらお前ら、食え食え」 言いながら黒い肉を箸でつまみ、飯田と野崎の皿に乗せていく。飯田が「げっ」と声を出した。 「お前が食えよ!」 「にげーじゃん」 「あのな……」 もはや呆れ顔の飯田が、ちらりとこちらを見る。どうやら自分は周りに心配ばかり掛けているらしい。野崎は気分を入れ替えるように水を飲むと、焼き始めの肉をひっくり返した。 「野菜焼き、頼むだろ?」 「さすが野崎、分かってるな」 「肉だろ、肉!」 「じゃあまずこれ食ってくれよな」 騒がしい男の焼肉は、既に食べる方向へとシフトしている。いつもの調子が戻ってきても、野崎は心の中の引っ掛かりが取れずにもやもやとしていた。 寺島。万が一、あいつがCDを入れたとして。 あいつは、その中身を見たのだろうか? |